東広島簡易裁判所 昭和57年(ほ)1号 決定 1983年5月18日
主文
本件について再審を開始する。
理由
本件再審請求の理由の要旨は、
請求人は、昭和五六年一一月一一日東広島簡易裁判所において、窃盗、住居侵入、窃盗未遂罪により、懲役一年、三年間執行猶予、保護観察に付する旨の判決の言渡を受け、右判決は、同月二六日確定したが、右刑に処断された犯罪の中、判示第三の事実(被告人は、昭和五六年七月二三日午後一一時ころ、東広島市志和町大字志和東字七条椛坂四九三番地の四七沖川ミチ子方において、同人所有にかかる現金一万五、〇〇〇円ほか腕時計など物品六点(時価合計二万円相当)を窃取した。)は、同人に無関係であり、同人は、右事実については無罪であることを知つた。それは、同人が意思表示をする能力の点で、通常人よりは、若干不十分であることを奇貨として、広島県西条警察署において、同人の再三の右事実の否認にも拘らず、捜査を遂げ、起訴し、判決に及んだものである。しかし、当時右西条警察署以外の他の警察署によつて、右事実を犯した真犯人が検挙され、犯行場所に連行され、実況見分が実施された事実があり、その事実を西条警察署では知つていたが、同人にはもとより、検察官にも通知をしなかつた。その後、右事実の被害者沖川ミチ子から、同人以外の真犯人が捕えられたことを理由に、同人の両親の許に、同人が先に行つた被害弁償金の返還をしてきたことにより、初めて、自己の右事実についての無関係であることが、明確となつたことを知つたものである。よつて請求人は、右事実について、無罪を言い渡すべき明らかな証拠を、新に発見したものであるから、再審の請求をする。
というものである。
よつて、先ず請求人提出の昭和五七年(ろ)第七号事件(窃盗、住居侵入、窃盗未遂被告事件、以下第二事件と称する。)の第二回公判調書の写、請求人弁護人阿波弘夫作成の昭和五七年八月一一日、沖川ミチ子からの聴取書と題する書面、右同弁護人作成の請求人石川冨士男の供述調書、および当裁判所の事実の取調によつて明らかとなつた各証拠に基づいて、次の如く判断する。
当裁判所が取寄せた確定裁判記録(昭和五六年(ろ)第六・七号事件)、および請求人提出の判決書謄本によれば、東広島簡易裁判所において、請求人申出の如き判決が、昭和五六年一一月一一日言渡、同月二六日確定(以下第一事件と称する。)したことが認められる。そして、右記録中には、請求人が、警察、検察庁および裁判所の何れにおいても、第一事件判示第三事実について、全面的に認めており、殊更に争つたという事実は認められない。従つて、第一事件の審理に当つた裁判所において、右の事実について何らの疑点も抱かず、請求人申出の如き判決が、右裁判所によつて言渡されたことは、当然であると言わなければならない。
しかし、その後、請求人が第二事件を犯し、第一事件と同様に、東広島簡易裁判所において審理を受けることとなり、その第二回公判(昭和五七年八月四日)において、先の確定裁判第一事件の判示第三の事実は、自己の犯行ではなかつたことを申述していることが認められる。そして、この点について、請求人提出の証人西原敏夫および同石川真了の各証人尋問調書写、請求人の被告人尋問調書写には、第一事件判示第三事実について、請求人が無関係であることについて供述をしている供述記載のあることが認められる。また、前記弁護人作成の沖川ミチ子からの聴取書と題する書面によれば、請求人の父親から被害弁償金を受領してから暫く後に、三原の警察署の人が沖川方へ、窃盗犯人と称する人を連行し、実況見分を行つたこと、そのときの人物は請求人ではなかつたこと、そこで沖川は、同一事実なのに、犯人が二人もいることになり変だと思つたので、先の弁償金を請求人宅に持参して返還したと供述した旨の記載があり、以上を総合すれば、請求人以外に、前記第三事実の犯罪実行者が存在したことを疑うに足りる十分の資料があると認めることができ、請求人が犯人ではないことの可能性を認めることができる。
そこで、請求人について再審を行うべき、刑事訴訟法四三五条六号所定の、無罪を言渡すべき明らかな証拠があるか否かにつき、前記各証拠および当裁判所が行つた事実の取調により、明らかとなつた事実について検討をする。
参考人小本一に対する当裁判所の事実取調における供述によると、同人は、昭和五六年一〇月一九日、詐欺罪被疑者として、広島県三原警察署に逮捕され、その時点での取調のときに、同人から自発的に捜査官に対して、前記第三事実と同一事実の犯行が、自己の犯行によるものであることを、自白したこと、その後同年一二月初旬のころ、三原署の警察官(複数)と共に、沖川ミチ子方において、実況見分をしたこと、そのときにも率先して、自己の犯行時の行動経路、侵入経路、当時の周囲の状況、犯行手段、窃取物品およびその後の盗品の処分等について、詳細に説明をしたことが認められる。右の事実は、参考人田渕芳夫(三原警察署において、前記小本の取調担当の警察官)に対する当裁判所の事実取調において、同人の小本を取調べたときの状況についての供述とも、完全に一致していること、当裁判所が事実取調として実施した沖川ミチ子方周辺一体の検証調書による沖川ミチ子方居宅の位置、家屋の形態、色彩、道路の状態等とも、すべて符合していること、小本の供述は、同人が、三原署では勿論(前記田渕供述)、その他外部からも、何らの情報を得られなかつたにも拘らず、沖川方に侵入した事実、その時刻等の客観的状況をはじめ、沖川ミチ子の被害物件の種類、金額、数量等さえも、沖川ミチ子作成の被害届によるそれと、符合していて、この点は、小本自身が、沖川方における真犯人でなければ、知り得ない筈の事実について、十分知つていることを明らかにするものであること、右小本と請求人とは、過去においても、現在においても、相互に一面識すらなく、かつ、請求人が第一事件の審理を受けていた当時、小本は三原署に拘禁中であつたことも明らかであり、まして、請求人が、同一事実の被告人として処断されたことも、知らなかつたのであるから、小本には、殊更に請求人に依頼されたことも、自分から請求人に迎合するような供述を行う可能性も、また必要性も存在しなかつたことを認めることができ、以上の諸点を総合すれば、参考人小本の供述は、十分信頼し得るものであり、本件請求の第一事件第三事実の真犯人は、右小本であると断定なし得る可能性が、極めて濃厚であると思料する。
以上の諸点について、本件再審請求を不相当とする検察官の意見は、請求人が、第一事件については、裁判が確定するまで、終始一貫して、事実を争わなかつたこと、その間の請求人の自白には、任意性、信用性を疑うべき証拠のないこと、請求人が本件請求をするに至つた動機は、単に自己の刑責を軽減するための弁解でしかないこと、他方小本一については、犯行事実の自白はあるものの、犯行と結びつける客観的証拠が不十分であり、小本を真犯人と断定することは問題であるとする。
たしかに請求人が、第一事件について、何ら争わなかつたことは、当裁判所も先に認定したとおりである。しかし、そのことから、供述調書に記載されている如き請求人の自白が、任意性のあるものであり、信用性があるものとは、直ちには言えない。当裁判所の事実調査における参考人堀川和昭(請求人の第一事件捜査担当の西条署警察官)は、この前記第三事実を捜査する端緒となつたのは、請求人が、余罪についての実況見分の際に、沖川方附近を通行中の車両内で、突然、沖川宅を指して、「この家もやつとる。」と、初めてこの事件について自白をしたこと、その後、請求人は、沖川方の家の特定と、侵入口の特定だけをしたと供述しながら、その後の検察官からの質問に対しては、請求人の引き当て(実況見分)をする前に、請求人が概略を自白していたので、この事件のことを知つていたと、明らかに矛盾する供述をするなど、その供述自体に信用性が認められない。これに対して、請求人の当裁判所に対する事実取調における供述では、第一事件の取調に際して、右堀川が請求人に対し、威迫、強制したとの事実は認められないものの、この沖川方の窃盗事件は、最初堀川の方から話し始め、右事実について取調べを受けたが、請求人は、三度ほぼ否認をした、しかし堀川にその都度「やつたんだろう」と厳しく追求され、これ以上いくら言つても駄目だと諦めて、仕方なく堀川の言うとおりに従つたこと、このことは、前記弁護人提出の第二事件公判調書中の被告人尋問調書写における供述記載にも、同旨の供述がみられること、そして請求人は、この沖川方の事実以外の四件は、全部自分の方から自発的に、警察の方に自白していることを述べている。因みに、前記請求人の被告人尋問調書写の供述記載および当裁判所における請求人取調時の請求人の供述態度から推測すれば、請求人は、智能面、行動面共に、通常人に比して、著しく遜色があることが認められ、そのような状態のものが、この沖川方の事件についてのみは、その取調時の状況につきよく記憶し、終始同じことを述べていることから、同人にとつて、余程の衝撃的な出来事であつたのではないかと思料されるのである。なお補足すれば、請求人は、この沖川方の事実以外の犯罪事実は、自己の通勤途次にある住宅を犯行場所としており、しかも、その付近通行の際の偶発的な犯行であることは、容易に理解できる。また、その犯行の目的物も自己の性的欲望を満足するための女性の下着類とか、自己に興味ある歌謡曲のカセットテープであつて、沖川方におけるような、金品を対象とするものは、見当らない。そしてなお疑問であるのは、通勤その他に利用するバス停留所から、約1.3キロメートル余も隔つた、登り勾配の両側に山の迫る寂しい道を通らねば行けないというような沖川宅に、一日の厳しい労働を終えて、午後七時前に帰宅し、午後九時ころ食事を終つた請求人が、それからまた、自宅から約三ないし四キロメートルもあるバス停留所まで出て行き、前記道路を通つて沖川宅に赴き、午後一一時過ぎに同人宅で、犯行を行い、帰宅した後、翌朝午前六時前には起床して、また一日の厳しい労働に従事した(請求人の勤務状況については、当裁判所の事実取調による橋野製作所からの書面により明らかである。)としなければ、この沖川方での犯行は成立しないことが認められるのであるが、これは、余りにも罪質、その態様、行動状況等から考慮して、一般社会通念に反するものと思料されるのである。これらの諸点を総合すれば、この沖川方の事実については、前記堀川の執拗な誘導ないしは誤導により、請求人が止むなく従つたと認めるのが相当である。特に、前記小本の供述と対比すれば、その疑惑は一層濃厚であると言わなければならない。
次に検察官は、小本一の本件沖川宅での犯行については、本人の自白と被害者の被害届のみで、客観的証拠に乏しく、小本を真犯人とすることは問題であるとするが、それだけをとらえれば、請求人の場合も同様であるばかりか、小本の場合よりも一層稀薄な客観的情況証拠しかなかつた場合であつたと言うべきである。右小本について、三原署が送検しなかつた事情については、詳かではない。しかし、前記田渕供述、堀川供述、小本供述、および当裁判所の事実取調による大崎則之(前記堀川警察官の上司)の供述によると、小本がこの沖川宅の窃盗事件について起訴されなかつたのは、小本は、同人の妻が勤務先である給食センターにおいて、沖川宅の方に配達をして回つていることを、係警察官の田渕と、その上司の榎本繁という人に話をしたところ、沖川の件は伏せておこうと言われたことがある。従つて、右の点を考慮したうえで起訴されなかつたのだと思うと供述し、田渕は、そのように言つた事実はないと、全面的に否定し、ただ物が出ないから送検しなかつたと供述する。その反面、一般に捜査していて、物の存在が確認できない場合でも、送検することもあるとも供述し、小本の場合は、送検しないことに決めたのは、本件請求人が、第一事件の判決を受けたことを知つた後であつたとしている(小本に対する他事件の最終起訴は、昭和五七年一月二〇日である。)そして、右判決を知つたのは、同人が小本の実況見分を行つた少し後の日、沖川の被害届を西条署に取りに行き、そこの索引簿で右届のところが抹消してあることを発見し、そのときは何らの説明も受けなかつたが、更にその後、西条署に立寄つたとき、誰かから、請求人に対して、この事実に対する判決がなされていることを聞いた旨述べている。この点につき堀川供述では、三原署の方で、この沖川方の事件について、捜査を行つたということは、請求人の保護司が、西条警察署の方に、請求人はこの事件をやつていないのではないかと言つてきた(昭和五七年三月一日から四日ごろの間のことである。)ことを、前記大崎から聞かされて、初めて知つたが、上司からの命がなく、何もしなかつたと述べている。これに対して大崎は、前記田渕から電話があつたこと(田渕は、西条署に電話連絡などしたことはない。)を、堀川か、大迫(堀川と共に、請求人の取調を行つた警察官)かから聞いたが、石川の公判が済んでいたので、手続は全くとらなかつたと述べる等、夫々の供述の間には、微妙な差異が認められ、何れの供述も、自己の執つた措置を正当化しようとする、単なる弁解に終始していると思料され、措信し難い。以上の事実から推測すると、前記小本供述による本件の不送検理由を、三原警察署の捜査官が、否定をする以上、小本が、警察において任意に自白をし、その補強証拠も十分に存在している、この沖川方の窃盗事件を、同署が敢えて送検しなかつた合理的理由は、判然としないと言わなければならない。してみれば、この沖川方の事件については、西条署と三原署との間で、何らかの合意、若しくは暗黙の諒解が行なわれ、所謂臭い物に蓋をしたのではないかとの疑惑は、払拭しきれないと言わざるを得ない。
思うに、およそ国民のために、人権を擁護すべき立場にある警察官として、同一日時の、同一場所における、同一の犯行という同一事件を、何らの関連性も認められない別個の人格が実行したという結果となる、論理上も、事実上も、到底あり得ない現象に直面しながら、しかも、警察官としての経験則上も、極めて稀有の事柄であるにも拘らず(前記田渕供述においても、十八年余の警察官としての経歴中、このようなことは初めてのことであると供述をしている。)、そのまま等閑に付し、加えて、大崎、堀川供述では、その後の、昭和五七年三月初旬ころ、請求人の当時の保護司であつた西原敏夫から、この沖川方窃盗事件の真犯人が、他に存在することを指摘され、再調査の依頼までなされたが、それをも聞き放しであつたことを認めていることは、国民から信頼さるべき警察官の態度として、極めて怠慢であつたと言わねばならず、それが本件にまで進展したことを、十分反省する要があると思料する。なお、請求人が本件請求をするに至つた動機について、単なる自己の刑責軽減のための弁解でしかないと検察官は主張するが、請求人に刑責軽減の為の手段としての一面は認められるものの、実体的真実に反する事実によつて、その刑事責任を科せられている者が、その身の潔白を証するための法的手段として再審という手続を選択することは、その動機の如何に拘らず、不相当な方法だとして、非難することは、許されないと言うべきである。また当裁判所の事実取調の結果からも、本件請求は、単なる弁解でないことが明白である。
以上検討を加えてきた諸点から、本件請求に対する検察官の不相当意見には、理由がないと思料する。
前記証拠調、当裁判所による事実取調、およびその他の諸点を検討した結果から、請求人に対する裁判の最有力な証拠が、請求人の自白であるとされた本件において、新証拠としての、小本の供述の信用性には、十分なものがあり、請求人の受けた判決の事実につき、合理的な疑いを抱かせ、その認定を改むべき明白な証拠として、小本の供述を採り上げるのが相当である。従つて、以上のとおり、本件認定の各証拠は、本件請求の第一事件判示第三事実について、刑事訴訟法四三五条六号所定の、無罪を言渡すべき明らかな証拠を、新に発見したとの要件を具備するものというべきである。
よつて、請求人の本件再審請求は、理由があると認められるので、刑事訴訟法四四八条一項により、本件について再審開始の決定をすることとし、主文のとおり決定する。(谷生壽)